シェイクとか、勇気とか、見えないものも乗せている。
フランス革命時、ジャコバン派のマラーを殺した女として有名な、シャルロット・コルデー
当時25歳のシャルロットは、1793年にマラーを殺し、ギロチンで処刑され後にその美貌から“暗殺の天使”や“カーンの処女”と言われ、フランス革命のヒロインとなります。
でもシャルロットは本当に天使だったのでしょうか
シャルロットは、ノルマンディー地方の貧乏貴族の娘として1768年7月27日に生まれます。
(シャルロットのこじんまりした生家)
シャルロットプルタルコスの対比列伝(英雄伝みたいなもの)を愛読する大人しい少女でした
思春期に修道院という閉鎖的な場所で過ごしたシャルロットにとってプルタルコスの英雄伝は、大きな影響を与えたと思われます
プルタルコスの『対比列伝』は、古代ギリシア・ローマの著名人たちを、人となりや言動の似た者で二人一組のセットで書いたもので、シェイクスピアも、『シーザーとクレオパトラ』を書く際に参考にした、と言われるくらい有名な英雄伝でした。
もしかしたら、田舎の貧乏貴族だが、コルネイユの子孫である自尊心の強いシャルロットも、対比列伝に出てくる英雄に自身もなりたいと願ったのかもしれません。。
(シャルロット・コルデー 1768〜1793)
(シャルル・ジャン・マリー・バルバルー1767〜1794)
(シャルロットが殺したマラー)
シャルロットが殺したマラーですが、中流家庭に育ち、革命の指導者として活躍し、新聞『人民の友』を発行し過激な政府攻撃をして下層民から支持されていましたが、シャルロットに暗殺された時、すでに持病の皮膚病が悪化したため、活動不能となり、愛する妻や数人の仲間たちと自宅にこもって1日中入浴して療養していま
た
シャルロットは、新聞「人民の友」を発行し、民衆の立場からブルジョワ勢力を攻撃した過激な人物でも知られるマラーさえ殺せばフランスに平和と秩序が取り戻せる、と本気で思い込み、はるばるカーンという地方からパリへきます
しかもこれから暗殺しようというときにシャルロットは何故か新しいおしゃれな帽子を買っていました。
(革命期のファッション)
そして1793年、マラーの家に若干無理やりに押し入り、入浴中のマラーの心臓を包丁で刺して暗殺を成功させます。
(この時最愛の妻は、シャルロットを家にいれようとしませんでしたが、相手が若い女性であることにマラーは油断します)
しかし、暗殺後、現場で画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが有名な『マラーの死』を描きました。
(生き絶えたマラーとシャルロット)
ロベスピエールが、ルイ16世やマリー・アントワネットをギロチン台へと送ったことを考えれば、シャルロットの行為は本末転倒のように思えます
(ロベスピエール)
(1793年10月に処刑されたフランス王妃、)
プルタルコスの対比列伝を愛読していた、思い込みの強すぎた乙女シャルロットの人物像は、興味深いです