決戦の中心で愛を叫ぶ
決戦であらゆる困難と闘うページ
昨日、行なわれた「将棋界の一番長い日」
第77期A級順位戦の最終戦/9回戦・一斉対局は
28歳の秀英・豊島将之ニ冠が見事、自力優勝を決め
佐藤天彦名人への挑戦権を獲得し、幕を閉じました。。
今回はもちろん、優勝決定の一局
「豊島将之ニ冠-久保利明九段」の模様を
振り返らせていただきます。。
2手目△3四歩。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: なし
△久保九段: なし
本局の先手は、豊島ニ冠。
その初手は飛車先を突く▲2六歩から。
いきなり居飛車を明示した先手に対し、久保九段は
2手目△3四歩と角道を開けて対局はスタート。。
5手目▲7六歩。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: なし
△久保九段: なし
続く3手目に、豊島ニ冠は飛車先を決め
後手に△3三角(4手目)の受けを強要してから
自らの角道を開きます。。
7手目▲6八玉。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: なし
△久保九段: なし
次に、久保九段の△4二銀(6手目)をみて
豊島ニ冠は居玉を解除し、後手の振り飛車をけん制しながら
先手らしく、自らの作戦を盤上へどんどん反映させていきます。。
この手に対し、久保九段は。。
8手目△5四歩。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: なし
△久保王将: なし
1分の少考で中央5筋の歩を突き
切り札の「ゴキゲン中飛車」投入をみせつつ
先手からの角交換を打診しました。。
すると
9手目▲3三角成。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: なし
豊島ニ冠は3分の少考の後
後手の注文を受けて立ち、角交換を敢行しました。。
久保九段は△同銀(10手目)と応じて、以下
▲5三角~△4四角~▲同角成~△同歩~▲4三角~
△3二角~▲同角成~△同金に、▲7七銀をみて
下図20手目△5二飛と進行。。
20手目△5二飛。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: 角
立て続けに3度の角交換を成立させた後
豊島ニ冠がようやく自陣に手を戻したのをみて
久保九段はすかさず飛車に手をかけ、5筋へと振り
「中飛車」に構えました。。
28手目△7二銀。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: 角
互いの飛車のポジションが決まると
乱戦模様の出だしから局面は落ち着きを取り戻し
両者は息を合わせて玉の囲いを目指し、上図の局面で
久保九段は振り飛車の相棒「美濃囲い」を完成させました。。
35手目▲8八玉。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: 角
一方の豊島ニ冠は
居飛車ながらも格調高く「高美濃囲い」を完成。
その中へ堂々と、玉の入城を果たします。。
39手目▲7五歩。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: 角
互いに飛車を戦場に浮かせた後
豊島ニ冠が7筋の位を確保した、上図の局面で
午前の対局は終了となり、お昼休憩に突入。。
【 お昼のオーダー 】
両者ともに「松花堂弁当」
今年の「将棋界の一番長い日」の舞台は
静岡県静岡市「浮月桜」にて。
昼食は対局者全員、「松花堂弁当」でした。
40手目△4二銀。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: 角
午後の対局開始の一手で
3筋から5筋の位を押さえた九段九段が
3三の地点に構えた銀を4筋に引き下げると
豊島ニ冠は手を止め、長考に入ります。。。
考えること
何と2時間5分にも及ぶ大長考の末に。。
41手目▲3六歩。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: 角
豊島ニ冠は3筋の歩を突き合わせ
このタイミングでの仕掛けを決断しました。。
43手目▲7四歩。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 角
△久保九段: 角
久保九段が歩を突き合わされた3筋に
飛車を合わせたのをみて(42手目△3四飛)
豊島ニ冠は7筋の歩を突き合わせます。。
久保九段がここは△同歩(44手目)で応じると
豊島ニ冠は今度は飛車先2筋で歩を突き合わせ
畳み掛けます(45手目▲2四歩)。。
久保九段はここも先手の手に乗り
19分の考慮の後、△同歩(46手目)と応じると。。
47手目▲2八角。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: なし
△久保九段: 角、歩2
豊島ニ冠は返す刀で、狙いの自陣角を投入。。
指されてなるほど、見えにくい一着で大きな拠点を作りました。。
55手目▲7四飛。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 歩4
△久保九段: 角、歩2
拠点の角に呼応する形で、先手の飛車が躍動。。
大きな旋回で7筋へと到着し、後手玉のコビンから
大駒の連係による強烈な攻勢を仕掛けます。。
もちろん同銀とは応じられない
久保九段が銀を6筋の出したところで(56手目△6四銀)
風雲急を告げる中、夜戦に備えて夕食休憩に突入。。
【 夕食のオーダー 】
豊島ニ冠: ミニカツカレーセットのせいろそば
久保九段: ミニカツ丼セットのせいろそば
57手目▲6四同飛。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 銀、歩4
△久保九段: 角、歩2
夕食休憩明けの一手で
豊島ニ冠は飛車切りの強襲で銀を捕獲。。
一気呵成に勝負に出ました。。
73手目▲7四歩。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 歩3
△久保九段: 飛、角、歩2
豊島ニ冠の狙いは、後手玉のコビン。。
起点の角を中心に執拗に絡みつきます。。
角の利きが邪魔でなかなか局面を打破できない
久保九段は次に、△6四歩(74手目)と防御しますが。。
75手目▲7三歩成。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 桂、歩3
△久保九段: 飛、角、歩
すでに形勢リードを自覚する豊島ニ冠は
そのまま桂馬を取り込み、アクセル全開。。
久保九段の△同玉(76手目)をみて、以下
▲5六桂~△6三玉~▲6四銀~△同銀~▲同角~
△7三銀~▲5五角~△5四歩をみて、▲7三角成~△同玉に
▲6四銀~△6二玉~下図89手目▲5三銀打と進行。。
89手目▲5三銀打。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 歩4< /font>
△久保九段: 飛、角2、歩
豊島ニ冠は手厚く、華麗な指し回しで
後手陣を崩壊させ、完全無欠の寄せに入りました。。
108手目△3五角。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 飛、歩
△久保九段: 飛、角、金、桂、歩2
豊島ニ冠の手厚く堅実な寄せの前に
すでに大勢が決する中、久保九段はそれでも
最後まで最善の指し手で粘り、A級の舞台への敬意と
一流の勝負師たる誇りを盤上に刻み込みます。。
そして
【 投了図・133手目▲2二角 】
133手目▲2二角。
上図での持ち駒
▲豊島ニ冠: 桂
△久保九段: 飛、銀2、歩3
最後の最後まで一切、緩むことなく
誠実に後手玉を追い詰めた豊島ニ冠が
2筋に角を打ち込んだ、上図の局面をみて
久保九段はついに、投了を告げました。
終局時刻は午前0時24分。
この結果、今期順位戦成績を8勝1敗とした
豊島ニ冠が見事、名人挑戦権を獲得しました。。
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今年の将棋界の一番長い日が閉幕。。
羽生九段はを飾るも。。
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解説会も盛況に。。
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王将戦/第4局終局直後の感想
王将戦/第4局・一日目の所感
決戦の舞台は18年ぶりの沖縄
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新しいタイトル戦で目指す、次のステージへ
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藤井七段、衝撃の朝日杯2連覇達成!
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秀英対決はともに譲らず。。決着は最終戦へ
残酷な決戦が支配する
さて、ナポリを堪能した雲助はイタリア半島を横断し半島の東海岸、つまりアドリア海側の街、バルレッタに行こうと思う
ナポリからバルレッタまでは約220キロで途中ガゼルタを経由して約2時間半ほどの移動である
バルレッタは小さな街だがシルクロード編でローマに向かう順路として2通りのプランがあり没になったクロアチアのドゥブロブニク辺りからアドリア海を渡りバルレッタに至るルートにも若干の未練があったのでナポリから足を延ばして行ってみる事にした
と、言う事で早速ナポリ中央駅にやって来てバルレッタ行の列車に乗って取りあえずガゼルタを目指す
ナポリ⇒ガゼルタ:3・1ユーロ(約450円)
そうして約1時間でガゼルタの駅にやって来た
ここからバルレッタ行の列車に乗って行く
ガゼルタ⇒バルレッタ:39ユーロ(約5100円)
列車は約1時間半掛かってバルレッタの駅に到着した
バルレッタは人口10万人のローカル都市だがイタリアの田舎である東海岸ではまあまあの都市だ
駅前から続く通りを歩いているとB&Bの看板があったのでそのB&Bに向かってみる
そうしてやって来たのがB&Bのデニッテス
個室1泊:34ユーロ(4500円)
日本にはまだ余り普及していないがB&Bと言うのはBed&Breakfastの略でつまり朝食付きの宿泊で特にヨーロッパでは一般の民家を改造して民宿っぽくした感じの所が多くヨーロッパの民家に泊まったような気分になれてしかも観光ホテルより料金も安めなので長期旅行者には使える宿泊施設なんだよ(*^o^*)
と、言うことで到着してその日はB&Bでのんびりして翌朝さっそく自慢だと言う自家製パンの朝食を堪能したよ(^◇^)
さて、朝飯食ったしさっそくバルレッタの街を巡ってみよう
いつものように観光MAPを添付して置くので参考にね
バルレッタの旧市街は白い街並みと石畳が綺麗で南イタリアの田舎って感じでいいよ
旧市街の中心にはサンタ・マリア・マジョーレ大聖堂があって白い外観と高い鐘楼が存在感あり1267年に建てられたロマネスク様式の趣ある教会だ
内覧しようと思ったら何かやってるようだ・・・
よく見てみると結婚式をやっているようでこれは遠慮しないといけないな~お幸せに(*^o^*)
旧市街から海辺の方にやって来るとスヴェボ城があるので見学してみよう(^~^)
スヴェボ城観覧料:3ユーロ(約400円)
ちなみにこのスヴェボ城を上空から俯瞰すると写真のような星形要塞で日本では函館の五稜郭が有名だがこうしたヨーロッパの城郭を真似たものでこの要塞は海からの艦砲射撃を防御する為の要塞である☆
内部に入ると四角い広場になっており特に何があるわけではなくスロープを昇って行くと要塞の屋上に登る事が出来るので行ってみる
何もない屋上からは何もないが故にアドリア海がよく見える
さて、翌日はバルレッタにやって来た最大の目的であるカンネー(カエンナ)の戦いがあったカンネー(カンナエ)古戦場に行ってみようと思う
カンネーの古戦場に行くにはバルレッタから3時間半に一本しかないド田舎線に乗って最寄り駅であるカンネー(カエンナ)・デッラ・バターリア駅で降りるのだが本当にクソ田舎だ
ド田舎線:1・1ユーロ(約150円)
さて、カンネーの戦いとは何ぞね
今後のブログの予習にもなるので解説する
カンネーの戦いとは世に名高い名将ハンニバルがローマの大軍を撃破し決定的なダメージを与えた世紀の戦いの事でありヨーロッパを席捲した古代ギリシア帝国が衰えて来た紀元前3世紀頃はローマがまだ新興国家で地中海を支配していたのは現在のチュニジアにあったフェニキア人国家のカルタゴ(現チュニジア)でカルタゴは地中海の女王と言われた海洋国家でコロンブスが新大陸を発見する600年以上も昔に既にアメリカ大陸に渡り拠点を持っていたほどの造船技術と航海術を持ち、当時のカルタゴの軍港は現在の軍港造りのお手本となったほどの優れた海洋国家であった
そのカルタゴと当時まだイタリア半島すら統一していない共和制になったばかりのローマはシチリア島の覇権を巡り紛争に発展し紀元前264年にポエニ戦争が勃発するのである
ポエニ戦争はポエニ100年戦争などとも言われ第一次から第三次まで合わせて100年間も戦われた大戦争であったが当時地中海での覇権拡大を狙っていたローマにとって自国よりも大きなカルタゴ相手の戦争はまさにローマの命運を賭けた戦いであったのだ
しかし圧倒的にカルタゴ有利と言われていたポエニ戦争だったがシチリア島西部を支配していたカルタゴ領主の不手際もあり海洋国家であったカルタゴはローマに破れシチリア島に加えコルシカ島やサルディニヤ島をも失い第一次ポエニ戦争はローマの勝利に終わり講和が結ばれるが・・・
そんな中でカルタゴはイベリア半島南部のカルタゴ・ノヴァと言う占領地を拠点にイベリア半島にその勢力拡大を始め軍を進めるがイベリア半島にあったカルタゴ支配下のサグントゥムと言う都市国家が勝手にローマと同盟を結んでしまう
このイベリア半島攻略を戦死した父、ハミリカル・バルカか
引き継いでいたハンニバル・バルカ(以後ハンニバル)はサグントゥムの裏切りに激怒しサグントゥムを軍事侵攻して滅ぼしてしまう
(写真はカンネー考古学博物館にあるハンニバル像)
26歳の青年将軍はこうして世にデビューすることになるのだがハンニバル・バルカのバルカは雷光と言う意味で後に雷光将軍と恐れられたハンニバルの戦いはこうして始まった
ちなみにこれも博物館に展示してあるカンネーの戦い時のローマ軍が使用していた鉄兜で古戦場から出土したものだ
カンネー考古学博物館:無料
そのハンニ・バルのサグントゥム攻撃に激怒したローマはカルタゴに宣戦を布告しここに第二次ポエニ戦争が勃発した
ハンニバル軍は打倒ローマに向けて進軍を開始した
ローマの大軍は海岸沿いのマッシリアにてハンニバル軍を待ち構えるもハンニバルはその裏をかきエプロ川を北に向かい内陸ルートを通りかの有名なアルプス越えを強行する
9月であったが標高3000m近いアルプス越えは北アフリカのカルタゴ兵や象たちには厳しいものでアルプス越えの前には46000人いた兵士も20000人程に減り30頭いた象も17頭に減っていたのだ
アルプスを越えたハンニバル軍は反ローマ分子を味方に加え軍を再編しつつ北イタリアのトレビアにて遂にローマ軍と激突したのだった
ローマ軍、カルタゴ軍共に4万程であったと伝わっている
ハンニバル率いるカルタゴ軍はローマ軍を誘き出しそれを弓形の陣形で迎え撃ちつつ両サイドから包囲して殲滅すると言う現代にまで語り継がれるハンニバル戦法を繰り出しローマ軍を殲滅
ローマ軍も寸前で数隊が脱出して辛くも全滅は逃れたが死者は半数の2万人に及んだとか
手作りで申し訳ないがハンニバル戦法を再現してみたぞ
(赤=ローマ軍、青=カルタゴ軍)
ちなみに紀元前なので年数が進むたびに年号が若くなってゆくのからね
後世まで天才として語り継がれる名将ハンニバルは本領を発揮しその後のトラシメヌス湖畔の戦いで再びローマ軍をハンニバル戦法で殲滅した
再度自作の再現シーンをどうぞ
(赤=ローマ軍、青=カルタゴ軍)
しかしハンニバルはいきなり首都ローマに攻込むと言う無謀はせず反ローマ分子を糾合しつつローマを包囲する作戦をとったためにトラメヌス湖畔より更に南下しカンネーにて7万のローマの大軍と激突するのだ
これが世に名高いカンネーの戦いである
カルタゴ軍5万対ローマ軍7万だったがここでもハンニバル戦法が炸裂し
囲戦の常識を覆し自軍より多いローマ軍を包囲殲滅したのである
(包囲戦術は大軍が小数を殲滅する為の戦術)
これもオリジナルで申し訳ないが再現したよ
(赤=ローマ軍、青=カルタゴ軍)
このカンネーの戦いでローマ軍7万人の内なんと6万人が戦死し決戦に敗れたローマは大ピンチ
しかし、ローマもここから守りに徹しまたハンニバルとの決戦を避け戦いはそのまま膠着状態に陥りハンニバルをイタリア半島に封じ込めつつローマは地中海での海戦に打って出てカルタゴに対し有利に戦いを進め第二次ポエニ戦争も終わってみればローマの辛勝に終わったのだ
ローマは辛くも滅亡の危機を乗り切ったのである(゜д゜;)
さて、それではカンネー・デッラ・バルカ駅から古戦場に向かうが道と言ってもブドウ園のあぜ道をひたすら歩くしかないがたわわに実ったブドウが何とも美味そうだ
古戦場に向かう道中にはローマ時代のカンネーの街の遺跡がありなかなか大きな街であったようだ
そうしてカンネー古戦場が見下ろせる小高い丘の上にやって来た・・・が、何にもない
ううっこれだけクソ長い解説をしておいて何にもないこの大平原の写真一枚で終わってしまうとは・・・ヤバい
ま、まあたまにはこう言うのもいいじゃん(^▽^;)
ちなみにローマに破れたカルタゴはローマの支配国家になる事を強要され軍事力を没収されローマ兵が駐屯し監視をされ返済不能と言われた賠償金を課せられたがなんと、僅か数十年で完済してしまう程の経済復興を見せたのだ
そんなカルタゴが再び蘇る事を恐れたローマは言い掛かりを付け一方的に攻め込む形で第三次ポエニ戦争が始まり二度と蘇らないように徹底的に破壊され滅亡したのだ
そうしてカルタゴを滅ぼしたローマはハンニバルとの戦いから会得した最強のハンニバル戦法を駆使しこの後、連戦連勝で西側世界の覇者への道を突き進む事になるのである
ハンニ・バルは敵でありながらローマ最強の敵そして最高の将軍としてローマ史に燦然と語り継がれて行くが敵だからこそその能力を高く評価する事があるね
こうして史上最高の名将・ハンニバル所縁の地をこの目で見て翌日バルレッタを後にしナポリに帰るのであった
それでは続きは次回と言う事で
さて、古代世界の最強国家ローマを滅亡寸前にまで追い詰めた名将ハンニバルはどんな最期を遂げたのだろうか
武人らしく壮絶な討ち死にローマに捕まって処刑
否、政治家に転身したとか様々に思われるだろうがそれではその後のハンニバルを観てみよう
↓ ↓ ↓
ローマを震え上がらせた英雄の最期はこうだったのだ
それにしてもこのハンニバルと言うのは奇策を用い戦上手で手柄を立てすぎて本国には彼を妬む者も多かったとされるが何となく源義経に似てるな~って思う雲助であった
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