宮内庁口コミや評判たくさん
秋篠宮さまは誕生日の前の会見で、2つのことを明らかにされました。一つはプー小室の問題です。これはハッキリと言われました。
「小室さんが日本国民から喜んで迎えられない限り、皇室として結婚を賛同するわけにいかない」ということです。これは事実上の三下半です。
そのために「小室さんの母親の借金問題を解決してください」と言われています。これは解決できる問題です。誰かが400万円くらいの借金を肩代わりして借金を返してしまえば、この問題は解決します。
するとプー小室は皇室に入れます。恩を着せることができるので、貸す側から言うと安いものです。それをプー小室はやりません。どういうわけだか、意地をはってやりません。「借金問題を解決してもダメですよ」と、いうことです。
秋篠宮さまは「借金問題を解決してください。そして、安定した生活ができるようになったら、この話は続きます」と言いながら、「国民が喜ばないならば、私としては結婚を賛同するわけにはいかない」とこのような言い方をされたのです。これが一つです。
それから宮内庁に行って、「天皇陛下の大嘗祭を国費でやるのですか? 憲法によるとこの問題は、国費ではなく、天皇家の私事としてやるのが当たり前ではないでしょうか?」と言われたのです。非常にこれはめずらしいことを言われたのです。
すると宮内庁長官は、秋篠宮さまの話をきかなったのです。それでつっぱねたのです。ここまでは事実ですが、これからが凄いのです。皇室の権威は凄いと思います。宮内庁長官を呼びつけて、「貴方は私の言葉を無視しましたね」と言われたのです。すると宮内庁長官は土下座せんばかりにお詫びしたのです。実際は「申し訳ありません」と土下座したのだと思います。宮内庁長官は、秋篠宮さまのお言葉を無視したのです。
秋篠宮さまは、メンツが丸つぶれです。だから、宮内庁長官を呼んで「何故、貴方は私の言葉を無視したのですか?」と言われたのです。その時に宮内庁長官は土下座して謝ったのだと思います。これだけの権威を秋篠宮さまは取り戻されたのです。
プー小室の問題で色々と言われていましたが、この問題で筋を通して自分の意見を無視した宮内庁長官を土下座させたのです。凄い権威です。秋篠宮さまはまだ皇太子にもなっていません。単なる秋篠宮家ですが、それだけの力を持っているのです。誰も逆らえません。
皇室に向かって「憲法は間違っています。GHQに押し付けられたものですから、これは無視しましょう」と言ったら、これは正論ですが、宮さまはそんな正論には答えられません。憲法で決まっているのですから、「この問題は憲法通りに行います」ということです。
内心は違います。「こんな憲法はダメだ」と思っていても、「憲法で決まっているのですから、この通りに行うのが皇室だと思います」と言われたら、もうどうしようもありません。
でも今回は、あえて秋篠宮さまの言葉に逆らって大嘗祭は22億円かけて国費でやるのです。これは間違いなくやるのです。そこで秋篠宮さまが男をあげたのです。
天皇もそうです。発言したら終わりです。譲位の問題もそうです。「年々、公務が難しくなっている。これをみんなで考えてほしい」と発言されただけで譲位が決まってしまいました。これが権威というものです。権威は法律よりも、政治よりも強いのです。
では、秋篠宮さまに逆らったらどうなるのでしょうか? 皇室は武器ももっていないので、撃ち殺されることはありません。罰則は何もありません。「バカヤロウ」と言えば言えるのです。何でも言えるのですが、そんなことは絶対に言えません。皇室に限ってそんなことを言ったら大変なことになります。日本人ならば、そんなことは恐ろしくて震えてしまい絶対に言えません。
それが2700年の歴史の重みです。それがないと国は治まりません。まして、皇太子様と天皇の発言は全然違います。重みが違うのです。そこで不思議に思うのですが、百田尚樹先生は「日本の歴史は2千年だ」と言います。日本の歴史は2700年です。
我が国の建国は紀元前660年1月1日(旧暦)です。我が国は、2,678年の歴史を持った国家です。何故、勝手に「2千年」と言うのでしょうか?
また、百田尚樹先生は「終戦」を「敗戦」と言っています。GHQのつくった憲法は無効です。これも言っていません。
これは一連の流れがあり学者の定説では、「日本の建国が2700年はどうも怪しい。第25代の武烈天皇までの天皇は、実在したかどうかわからない」と言うのです。だから、歴史学者たちはいい加減なものを扱うわけにはいかないので、きちんと文献に出てくるところから、日本の歴史を考えているのです。百田尚樹先生はそれを信じているのです。
それを信じているから、学者が言ったことを鵜呑みにして「日本の歴史は2千年」と頭に入ってしまっているのです。まだ直さなければいけない問題が百田尚樹先生の中に入っているのです。
日本の歴史は2700年と主張しなければいけません。歴史家の森清人さんは、この問題で悩み抜いたのです。「この歴史の問題をどのように考えたらよいのか?」と考え抜いて、「古事記の記述は真実に違いない」と考えて、この解決の方法がわかったのです。それが森清人先生の『日本新史』という本です。
日本の歴史は2700年です。何故、それがインチキなのかというと、天皇の寿命が長すぎると言うのです。
例えば神武天皇は127歳です。神武天皇は日本書紀では、127歳で没したことになっています。歴代で100歳以上の天皇は以下の通りです。
第五代、孝昭天皇は114歳で没、第六代の孝安天皇は137歳没、第七代の孝霊天皇は128歳没、第八代の孝元天皇は116歳没、第九代の開化天皇は111歳没、第十代の崇神天皇は119歳没、第十一代の垂仁天皇は139歳没、第十二代の景行天皇は143歳没、第十三代の成務天皇は107歳没、第十五代の応神天皇は111歳没、第十六代の仁徳天皇は143歳没です。(日本書紀より)
第十六代の仁徳天皇までは長寿です。すると日本の歴史が伸びるのです。実際の人間は人生70~80年です。150年生きたことにすると、歴史はどんどん遡ってしまいます。それはそれでよいのです。
そのように日本書紀に書いてあるのです。「その問題をどのように解決するのか?」ということが鍵なのです。その問題は僕が解決します。古事記・日本書紀によってのみしか日本の歴史は見なくてよいのです。「継体天皇からが本当の日本の歴史で、その前の天皇は創作だ」と歴史学者は考えています。何処が創作なのでしょうか? 根拠のないことを古事記・日本書紀に書くわけがありません。ここが面白いところで、このことは僕がこれから明らかにしていきます。
「神武天皇・徐福説」だとピッタリと合うのです。BC200年です。それでも差は500年あります。徐福が日本に来たのは、BC200年頃です。始皇帝(BC259-BC221年)が死ぬ寸前です。
継体天皇は5世紀の天皇です。「5世紀から日本の本当の歴史は始まった」と言いたいのです。その3世紀の一番最初が卑弥呼なのだということを言いたいのです。卑弥呼はいたのか、いないのかわかりません。中国の文献には載っていますが、日本の文献(古事記・日本書紀)には載っていません。日本の歴史学者は「卑弥呼が大和朝廷を造ったのだ」と考えているのです。
そうすると200年~300年くらいのことです。それを日本の天皇に当てはめて、「卑弥呼はこの女帝に違いない。中国の文献のほうが本当で日本の文献はウソッパチだ。千年のずれがある」という考えです。百田尚樹先生もそのように思ってしまっているのです。洗脳は恐ろしいのです。そんなはずがありません。
徐福が来たのは、BC200年です。秦の
始皇帝が亡びたのは、BC220年です。すると、ピタリと年代があってくるのです。すると徐福が日本に来て、BC200年頃には国家の礎が出来てきたのです。すると、2700年は長いのですが、2200年だとすると、僕の説がピタリと合うのです。神武東征とは、ユダヤ人の徐福の東征です。これは本当のところはわかりません。これは、僕の説です。
それはともかくとして、秋篠宮さまは皇室の権威を取り戻されたと思います。真に立派な宮さまだと思います。
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