手遅れ夢をカタチに。
イチロー氏が、野球選手として現役を引退することを発表してからおよそ1カ月余り。今は、プロ野球(NPB)、メジャーリーグ(MLB)ともに、本格的にシーズンが始まっており、筆者は球場で、もしくはテレビやネットで毎日のように試合を観戦している。
だが今シーズンは、開幕以降ずっと、イチロー氏が引退会見で発した言葉が頭に引っかかっている。それは、イチロー氏が、「野球の魅力は、どんなものでしょうか。また、イチロー選手がいない野球を、どう楽しめばいいでしょうか」という問いに対して答えたコメントだ。
■イチローが示した「野球界の問題」
この問いに対して、イチロー氏は2つの答えを挙げている。1つは「団体競技でありながら、個人競技である」ということ。野球という競技は、もちろんチームが勝つことが大事ではあるが、プロ選手である以上、選手個人として結果を残さなくては生き残れないということについて言及していた。
そして、もう1つは「現在の野球は、頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」ということ。イチロー氏は「野球は頭を使わないとできない競技だ」という持論を強調するために語っていたが、現在の野球は、人間の“頭の使い方”の次元を大きく超えた領域で行われていると言ってもいい。
いまや選手のプレー1つひとつが、データとして、あらゆる角度から分析されており、試合の際には、その分析結果を基に、野手の守備位置や投手の配球などが決められるようになっている。もちろん攻撃をする側も、データに基づいて構成された投手の配球を、さらにデータとして分析しており、さらに、裏をかいた攻めを仕掛ける。
もはや野球は(とくにMLBでは)、力と技のぶつかり合いだけではなく、ビッグデータの分析合戦的な側面もあると言ってもいいだろう。実際、NPBでも、明らかに“あらかじめデータ分析されていないとできないようなプレー”が少なからず見られるようになってきた。
投手の股下から、きれいにセンター前に抜けていくと思われた打球が、あらかじめ二塁ベースのすぐ後ろに守っていた二塁手に難なくキャッチされるシーンは、以前の野球では、まず見られないものだ。
データによってプレーが細かく分析され、その分析結果を基に、1つひとつのプレーが決まるようになったことで、選手たちは、その分析結果に従って投げ、打ち、守ることが求められるようになった。
データがプレーを支配することで、それは、ともすれば“頭を使わない”と見られることもある。それが、現在の“野球”という競技だ。
■「ビジネスの世界」でも同じことが起きている
「団体競技でありながら、個人競技である」という要素。そして「(データが支配するようになったがゆえに)頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」という要素。これらは“野球”という競技に限らず、現在のビジネスにも、そのまま当てはまる。
とくに海外企業では、もともと“個”のパフォーマンスがシビアに評価されるため、仮に企業として高い業績を上げていても、業績を上げられない人材は、ある意味容赦なく居場所を失うこととなる。まさに、どこの企業でも「団体競技でありながら、個人競技である」といえるような環境だ。
そして、AIブームと相まった形で、ある意味「頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」ように見える仕事も増えている。例えば営業現場であれば、これまで経験則でしか培うことができなかった、タイミングの見極め方や、提案すべき商材、受注確度の測り方などを、AIが編み出すようになっている。
マーケティング業務であれば、膨大なデータを収集、統合するなど、長い時間と手間を要する作業の実行をはじめ、見込み顧客や顧客のリアルタイムな行動に応じて、マーケティングのプロセスそのものを最適化させることも可能だ。
そして人事では、従業員に対して、より個別化された形で報酬やボーナスの提供ができるようになっていたり、離職しそうな社員のパターンを分析し、手遅れになる前に上司に伝えるような仕組みもできつつある。これらはすべて人間が「頭を使わないとできない」業務だと考えられていた。
こういった業務が、現在限りなくテクノロジーによって執り行われているわけだが、だからといって、仕事が「頭を使わなくてもできてしまう」わけではない。むしろ、ある面においては、より頭を使うようになっている。「頭を使わなくなった」のではなく、
れまでとは「頭の使い方が変わった」と言うべきだろう。
だが「頭の使い方が変わる」ということに対してイメージされているものが、日本とアメリカでは、大きく異なる。一言で言えば、アメリカ人はよりドライな方向に向かっているのに対し、日本人は、よりウェットな方向に向かっている。
平成28年版の情報通信白書によれば、日本では、AIの活用が一般化する時代において「コミュニケーション能力やコーチングなどの対人関係能力」など、いわゆる「人間力」が、より重要になると考えられている。
一方、アメリカでは「情報収集能力や課題解決能力、論理的思考などの業務遂行能力」といった、よりロジカルに実務を遂行していく能力が重要になると考えられており、転職の際に問われるスキルも、同じ傾向を見せている。
■イチローが気づかせてくれたこと
これは“野球”についても、同じことがいえるだろう。磨き上げた力と技術を、自らの経験則を踏まえた形で繰り出していくのではなく、「情報収集能力」や「論理的思考」を働かせ、自分のポジションに求められる「業務遂行能力」を忠実に発揮することが強く求められているのが現在の“野球”だ。
つまり「頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」のではなく「頭の使い方を変えなくてはいけない状況になりつつある」ということなのかもしれない。言い換えれば、求められるスキルが変化しているのだ。それは、ともすればイチロー氏が語ったように、つまらないと感じるかもしれない。
だが、これは時代の流れや、それに伴って進化するテクノロジーによって、競技の中身も徐々に変化してきた結果だともいえる。イチロー氏の「現在の野球は、頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」というコメントは、改めて“野球”という競技が変わったことに気づかせてくれたのだ。
魁! 手遅れ塾
また今週が始まりました
お仕事頑張りしょう
日曜日も仕事だって方もいますけれど、
逆に月曜日休みって方も当然いますよね
でも主婦に休みはありません
世の中のお母さんボチボチ頑張ってくださいね。
多分少し楽出来るなぁって思ってると
ベッドに寝て点滴受けてますよきっとね!
だから元気なウチはしっかり家庭や世の中の為に
頑張らないと、、いけないのかなぁ
私は今日、妻の胃カメラ検査に付いててあげようと会社休んじゃいました
今はとにかく妻を一番に考えるようにして
会社は妻が元気を取り戻したら
しっかり御礼を込めて働きたいと考えているので
それまでは大目見てもらいますね
今日は私が居なくても仕事出来るようしてきてあるので、余り心配はしていないのですが、
会社の皆さんには本当に迷惑をお掛けしております
すいません。って謝っても1人しか読まないんだけどね
元気なウチは仕事さぼろうなんて思ったりせず
ひたすら頑張らないといけませんよね、
元気で忙しいのが一番ですよ。
病気して会社を休むとつくづく感じますよ
そういうの。
妻もせっかくこれからゆっくり出来るって
感じてたのに、本当についてないです。
今まで妻は6年間介護のお仕事をしてきて
利用者さんの面倒を毎日毎日診てきて、
お風呂に入れたり、下の世話をしたり、
車椅子からベッドに移したり、送迎したり、
手を一切抜かずに、やり過ぎぐらいにやってきて
利用者さんには本当に気に入られていたみたいなんですよ。
安いお給料で、身体クタクタになるまで、
働いてきて
で、どうしてこんな仕打ちを受けなければならないのか?
人間って不公平ですよね、全く!
ヘルパーさんの中には口だけは達者で
自分は何もしない癖にやたら人使いの荒い人が
いるじゃあないですか、そんな人に限って
病気とか苦労とか一切しないみたいな
妻は本当に真面目なんですよ仕事に対してですけどね
だからもう少し元気をあげて、
日々を楽しんでもらいたい!
妻が去年退院してこう言っていました。
今まで子供達に何もしてあげていなかったから
これからは料理とか色んなもの一杯作ってあげたい。だから嫌いだった料理も楽しく作ってあげるねん、だから私これから頑張る!
って、それを実行させてあげたい。
妻が家でも頑張ってる
姿を子供に観てもらわないと。
よく長男が私に言っていました
「なんでウチはお母さんじゃなくお父さんが料理つくってるの?おかしくない?」って
そして妻が私のいない日に料理を作っていると
長男に「お母さん料理作れるやん?だったら何で
日頃から作らないの?」って
そんな事ももう言わなくなるなぁって
思ってたのに、、、、
私も少
思うんですよ
息子達が結婚相手見つけてウチに連れてきた時
私が料理しなきゃいけないのかな?って
それはちょっとマズイ気がするんだけど
でも妻がもう手遅れで死ぬって訳ではないので
必ず良くなるだろうし
又家に帰って楽しく過ごしていける日が
必ず来ると信じてるから
今はただ元気になるのを待つしか
ないと思ってる
そんな日がきて皆んなに報告して
ブログのアクセスといいねがMAXなって
コメント一杯頂いて、一杯返信させてもらって
御礼のブログをアップして、、、
いつかそんな日が来ると
楽しみに待っていますね
それまで今まで通り、フォロワーの皆さんには
心の応援頼みますからね、絶対祈っててくださいね。
さてそろそろ私も病院に向かいますか!
皆さん身体に気をつけてお仕事や家事
頑張ってください。