パソコン買ったらまず最初に入れとくべき手遅れ
※ただの愚痴↓
最近言われてかなりカチンときた言葉がある
友人と久々食事に行った時、
私「私も最近体調良くないんだよね~😅」
と何気なく話してたら、
友人「病院行って検査したの?」
私「母の事もあってなかなか受診してる時間がなくて⋯」
と話したら、
「だから手遅れになるんじゃない。(母と)おなじじゃん」と。
母も全く受診してなかったわけではないんだよ?むしろ半年前からかかってたし検査もしてた。本当に悔しいけど、肝機能の異常が出てきたのは最近だった⋯発見するのは難しい症例だったのではと思う。
そんな私たちの経過や母の辛さも知らず、そんな言葉を言われるのは、とっっっっても悔しかった。いくら今までお世話になってきた友人とはいえ、腹が立った。
悪気は無いのかもしれないけど⋯悲しかった⋯(;A;)
どんなに親しかったとしても、所詮は他人事なのかなって思ってしまった⋯
大学生でもできる手遅れ
イチロー氏が、野球選手として現役を引退することを発表してからおよそ1カ月余り。今は、プロ野球(NPB)、メジャーリーグ(MLB)ともに、本格的にシーズンが始まっており、筆者は球場で、もしくはテレビやネットで毎日のように試合を観戦している。
だが今シーズンは、開幕以降ずっと、イチロー氏が引退会見で発した言葉が頭に引っかかっている。それは、イチロー氏が、「野球の魅力は、どんなものでしょうか。また、イチロー選手がいない野球を、どう楽しめばいいでしょうか」という問いに対して答えたコメントだ。
■イチローが示した「野球界の問題」
この問いに対して、イチロー氏は2つの答えを挙げている。1つは「団体競技でありながら、個人競技である」ということ。野球という競技は、もちろんチームが勝つことが大事ではあるが、プロ選手である以上、選手個人として結果を残さなくては生き残れないということについて言及していた。
そして、もう1つは「現在の野球は、頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」ということ。イチロー氏は「野球は頭を使わないとできない競技だ」という持論を強調するために語っていたが、現在の野球は、人間の“頭の使い方”の次元を大きく超えた領域で行われていると言ってもいい。
いまや選手のプレー1つひとつが、データとして、あらゆる角度から分析されており、試合の際には、その分析結果を基に、野手の守備位置や投手の配球などが決められるようになっている。もちろん攻撃をする側も、データに基づいて構成された投手の配球を、さらにデータとして分析しており、さらに、裏をかいた攻めを仕掛ける。
もはや野球は(とくにMLBでは)、力と技のぶつかり合いだけではなく、ビッグデータの分析合戦的な側面もあると言ってもいいだろう。実際、NPBでも、明らかに“あらかじめデータ分析されていないとできないようなプレー”が少なからず見られるようになってきた。
投手の股下から、きれいにセンター前に抜けていくと思われた打球が、あらかじめ二塁ベースのすぐ後ろに守っていた二塁手に難なくキャッチされるシーンは、以前の野球では、まず見られないものだ。
データによってプレーが細かく分析され、その分析結果を基に、1つひとつのプレーが決まるようになったことで、選手たちは、その分析結果に従って投げ、打ち、守ることが求められるようになった。
データがプレーを支配することで、それは、ともすれば“頭を使わない”と見られることもある。それが、現在の“野球”という競技だ。
■「ビジネスの世界」でも同じことが起きている
「団体競技でありながら、個人競技である」という要素。そして「(データが支配するようになったがゆえに)頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」という要素。これらは“野球”という競技に限らず、現在のビジネスにも、そのまま当てはまる。
とくに海外企業では、もともと“個”のパフォーマンスがシビアに評価されるため、仮に企業として高い業績を上げていても、業績を上げられない人材は、ある意味容赦なく居場所を失うこととなる。まさに、どこの企業でも「団体競技でありながら、個人競技である」といえるような環境だ。
そして、AIブームと相まった形で、ある意味「頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」ように見える仕事も増えている。例えば営業現場であれば、これまで経験則でしか培うことができなかった、タイミングの見極め方や、提案すべき商材、受注確度の測り方などを、AIが編み出すようになっている。
マーケティング業務であれば、膨大なデータを収集、統合するなど、長い時間と手間を要する作業の実行をはじめ、見込み顧客や顧客のリアルタイムな行動に応じて、マーケティングのプロセスそのものを最適化させることも可能だ。
そして人事では、従業員に対して、より個別化された形で報酬やボーナスの提供ができるようになっていたり、離職しそうな社員のパターンを分析し、手遅れになる前に上司に伝えるような仕組みもできつつある。これらはすべて人間が「頭を使わないとできない」業務だと考えられていた。
こういった業務が、現在限りなくテクノロジーによって執り行われているわけだが、だからといって、仕事が「頭を使わなくてもできてしまう」わけではない。むしろ、ある面においては、より頭を使うようになっている。「頭を使わなくなった」のではなく、
れまでとは「頭の使い方が変わった」と言うべきだろう。
だが「頭の使い方が変わる」ということに対してイメージされているものが、日本とアメリカでは、大きく異なる。一言で言えば、アメリカ人はよりドライな方向に向かっているのに対し、日本人は、よりウェットな方向に向かっている。
平成28年版の情報通信白書によれば、日本では、AIの活用が一般化する時代において「コミュニケーション能力やコーチングなどの対人関係能力」など、いわゆる「人間力」が、より重要になると考えられている。
一方、アメリカでは「情報収集能力や課題解決能力、論理的思考などの業務遂行能力」といった、よりロジカルに実務を遂行していく能力が重要になると考えられており、転職の際に問われるスキルも、同じ傾向を見せている。
■イチローが気づかせてくれたこと
これは“野球”についても、同じことがいえるだろう。磨き上げた力と技術を、自らの経験則を踏まえた形で繰り出していくのではなく、「情報収集能力」や「論理的思考」を働かせ、自分のポジションに求められる「業務遂行能力」を忠実に発揮することが強く求められているのが現在の“野球”だ。
つまり「頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」のではなく「頭の使い方を変えなくてはいけない状況になりつつある」ということなのかもしれない。言い換えれば、求められるスキルが変化しているのだ。それは、ともすればイチロー氏が語ったように、つまらないと感じるかもしれない。
だが、これは時代の流れや、それに伴って進化するテクノロジーによって、競技の中身も徐々に変化してきた結果だともいえる。イチロー氏の「現在の野球は、頭を使わなくてもできてしまうものになりつつある」というコメントは、改めて“野球”という競技が変わったことに気づかせてくれたのだ。